藤原吉志子のブロンズ像@豊橋駅東口

豊橋駅東口のペデストリアンデッキは1998年の駅舎改築に合わせて設置された。この時デッキの各所や周辺の歩道にいくつかのモニュメントが設置された。これらはいずれも藤原吉志子によるものである。

豊橋に伝わる民話から場面をとった作品

「大西の馬頭観音様」より

「大西の馬頭観音様」は次のような民話です。この民話をもとにした作品は3つあり、東口を出て階段を上がった左手にある水のカーテンの奥に設置されています。

牟呂の大西(豊橋市牟呂大西町)の里に、働き者の馬方がいた。山の村まで荷物を届けた帰り道、日暮れの山道で、異様な獣の眼に気づいた。狼に囲まれた馬方は「わしの家までついて来い、お前たちの大好きな塩をやるぞー」と大声で叫んで、一目散に家まで帰った。家に駆け込んで、恐ろしさに震えながら寝込んでしまった。翌朝、馬方が馬小屋をのぞくと、馬は狼に食い殺されていた。馬方は、狼との約束を守らなかったばかりに食い殺された馬に詫び、馬頭観音を祀り、馬の霊を慰めたという。

豊橋百科事典 p.117

馬と狼

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 80*72*39

やせ馬を狙う狼

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 99*73*39

泣き出した馬方

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 90*80*70

「金次の椎の樹」より

「金次の椎の樹」は次のような民話です。

飯村の茶屋(豊橋市飯村町茶屋)に金次という長者の屋敷があった。その庭には一本の大きな椎の木があり、毎年たくさんの実をつけた。金次は、村人たちには実を拾わせず一人占めしてきた。ある日、旅の僧が通りがかり実を分けてほしいと頼んだが、与えようとしなかった。僧は「花は咲いても実はなるな」と大声を発して去った。翌年秋、椎の木の実はならなかった。金次はがっかりして病に臥してしまった。金次の夢に僧が現れ、「この世はお互い助け合い、分かち合う心がなければ人の心は荒れてしまう。あなたは人に施す心がなかった」といった。金次は心から悔い改めた。翌朝椎の木のところに行ってみると、椎の木の根元に「花も咲け、実もつけよ 弘法大師」と紙が張ってあった。その年からまた椎の木は沢山実をつけた。金次は皆に椎の実を分けて、人に喜んでもらううれしさを味わった。

豊橋百科事典 pp.185-186

ドングリ

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 45*110*80

ドングリ

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 80*45*45

「金の鶏」より

「金の鶏」は次のような民話です。

不動院(豊橋市瓦町通一丁目)が仁連木(豊橋市仁連木町)にあったころ、まばゆく輝く金の鶏の彫刻があり寺の宝物とされていた。心配性の和尚は「大切な金の鶏が盗まれたらどうしよう」と考えた。和尚があまり心配するので、見かねた小坊主がどこかに隠してはどうかと和尚にいった。それは名案と和尚は隠し場所を探したが良い場所が見つからない。困り果てていると夢の中に金の鶏が現れ、「朝日照り夕日輝く楠の根元に私を埋めれば決して見つからないだろう」と告げた。

和尚は日が暮れるまで夢のお告げの楠を探し回ったが見つからなかった。疲れ果てて腰を下ろすと目の前の木が夕日に輝いていた。驚いた和尚が通りがかりの老婆に尋ねると、その日は朝日照り夕日輝く楠だと答えた。大喜びした和尚は、その夜の内に誰にも見つからないよう金の鶏を楠の根元に埋め、大いに安心したという。

豊橋百科事典 pp.187

金の鶏

  • 1998年
  • ブロンズ

イスの上の三河ねこ

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 110*110*65
  • 設置場所 豊橋駅前北交差点南東角

座布団の上の三河ねこ

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 56*52*80
  • 設置場所 豊橋駅前南交差点北東角

いざゆかん

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 85*100*50
  • 設置場所 豊橋駅前北交差点北西角

三河メロンに乗って幸せと自由を夢見るキツネ

  • 1998年
  • ブロンズ
  • 120*120*50
  • 設置場所 豊橋駅前北交差点北東角

参考文献

  • 藤原吉志子 [作]ほか. 藤原吉志子, ドメス出版, 2007.5. 978-4-8107-0680-2.

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